そこに山がある

●学生時代は、2つのことばかり考えていた。登山とインドに行くことだ。インドのことは、かつてこのブログで書いた(ここをクリック)。今回は、登山のことを話題にしてみたい。

●中学校と高校と部活動には属していた。でも、真面目に取り組んでいたとはいいがたい。今思えば恥ずかしい。だからこそ、大学に入ったら、そこでしかできない、自分一人ではできないことをやろうと決めていた。そのひとつが登山だった。

●高校2年生の時に、山岳遭難のニュースを見た。ロッククライミングで岩場に宙吊りになっていた映像だ。これは衝撃的だった。なぜ人は、山に登るのか?これまで山に登ったこともない私が、その時以来、永遠に問い続けること以外に答えの見つかりそうにない世界に、自分も入ってみたいと思うようになった。インドに関心を持ったのも高校2年生の時のことだから、今思えば高校2年生は、私の大きな転機だったと思う。

●大学では、「先輩と話す際の言葉遣いも知らない」とたしなめられ、言葉遣いから教わった。4年生は、神様だと教わった。6年生もいたから、本当に神様だと思った。合宿は春夏秋冬、毎日マラソンに始まるトレーニング、たまに砂袋をザック(キスリング)に詰め込んで、校舎棟の非常階段の上り下りをした(これを歩荷、ボッカという。不思議な世界だ)。

●夏合宿では、10日間余りのテント生活、8人前後でパーティーを組み、北アルプスや南アルプス、北海道大雪山系など、行きたい山域へ各々が向かった。冬合宿では、雪洞を掘り、滑落停止の雪上訓練をしながら山行をした。

●夏山では、毎日朝2:00頃には起床する。飯炊きから始め、テントを撤収して、次のテン場に向けて10時間近く、40kgもの荷物を背負って歩かなければならない。差し入れのスイカまで持たされた。これまで生きてきて、こんなに辛いことはないと本当に思ったが、とにかく歩かなければ終わらないし、歩くことしかない毎日だった(こんな世界とは!下山したらすぐにやめようと思ったこともあったが、そう思う人がけっこういることを知り、なぜか安心した)。

●朝とは決して思えない時刻に起床するのは、午後に発生しやすい雷を避けるためだ。確かに、標高2千メートル以上の山での雷は、恐ろしいしか言いようがない。大地が揺らぐとはこういうことか!山そのものが雷の轟音(ごうおん)に包まれ、山全体がどよめく。テントポールを持っている下級生から先輩は離れようとするが、逃げ場もない。下界では決して経験することができない、恐怖の時間が続く。そこは雲海の上の世界だから、特別なのだ。

●山の朝はいい。空気が澄んでいる。本当に空気が美味しいと感じる。厳冬期の山の、突き刺すような寒さも下界では味わえない。厳冬期の山行では、髪の毛も樹氷状態になる。氷点下20度の世界、テントの中に入れたポリタンクの水も凍るので、それを股の間に挟んで寝るのは当たり前だと、先輩から教わった。下山してしばらくすると、不思議ともう一度登りたくなる。あの辛さ、やめてやろうという気持ちは、どこかに吹き飛んでいた。

●山の中にいると人間が自然の一部であるといつも感じる。それも、とてもちっぽけな存在なのだ。日々悩んでいることも大したことではないと思ってしまう。今では、かつてのように長い期間にわたり縦走することはないが、このことを思い出すと、私の末端部からエネルギーが押し寄せてくる。その時の感覚は今でも生き続けている。だから、過去のことではない。

●学生時代の山仲間とは、今もLINEでつながっている。9月の3連休に、白馬山系に登った友人から、登山の一部始終が届いた。そこで見た光景は、かつて私が登った山々だった。それらの山々に、もう一度、かつての仲間とテントを担いで登る日が来ることを願ってやまない。

●「そこに山がある」、だから私は登るわけではないだろう。私の肩を強く叩き山へと誘うのは、そこには、澄んだ空気と普段は決して見ることができない景観に触れることができるからだろう。大地(地球・自然といってもよい)との一体感を感じたることができた時、私の自我は消える。私たちには、そんな時間が必要なのかもしれない。

(村瀬)

雲海の向こうは富士山 山の朝開け

日没

 朝のテン場

 夜のテン場

左奥が穂高山系・右奥が槍ヶ岳

私が愛する剱岳(これまで2度登ったが、一度も晴れたことがない。)