「世界は美しくて不思議に満ちている」!

●私は、学校を職場として35年ぐらい経とうとしていますが、これまで疑問に思ってきたことがあります。それは、日本の学校では、「人間とは何か」を探るための授業がほとんどないということです。かつて、私は、6年間かけて、ヨーロッパのいくつかの学校の授業を継続的に調査したことがありますが、大抵、哲学という授業があって、そのテーマのひとつである「人間とは何か?」について、小さい頃から授業で考えさせます。

●私が、1学期終業式の時に話した、「アレテー」(人間は目的を持って生まれてこない、目的を見出していく生き物である)に高校時代に興味を持ったのも、このことに関連していると思います。

●「人間とは何か?」について考える学問は、哲学だけではありません。「人間とはどんな動物か?」と問えば、哲学ではなくて、自然人類学という学問の問いになります。これは、ヒトという動物の進化の道筋をたどり、ヒトが動物として持っている特徴について、遺伝、生態、行動などの側面から研究する学問です。

●ここに1冊の本があります。題名は、「世界は美しくて不思議に満ちている」(青土社、2018)です。著者は、自然人類学者の長谷川眞理子さんです。そもそも、ヒトに最も近い種であるチンパンジーとヒトの遺伝子は、約98.4%が同じです。違っているのは、たった1.6%に過ぎないのですが、ヒトは言葉をあやつり、農耕をおこない、芸術を産みだし、巨大都市をつくり、戦争をし、環境をも破壊する。「そもそもヒトとは何者か?」というのが著者の問いです。

・チンパンジーと人類は、600万年前に分岐して別の進化の道を歩み始めたこと

・およそ200万年前、今のヒトと同じホモ属の人類が進化しそして、20万年前のアフリカで、ヒトはさらに進化をしたこと

・今では、チンパンジーは、アジア・アフリカの熱帯雨林にのみに生息する絶滅危惧種であるが、ヒトは世界中に拡散して77億以上の人口を抱えることになった(1分間で156人増えている、つまりこうして話している間に、世界では500人ぐらいのヒトが生まれていることになります。)こと

●チンパンジーと別れて進化したヒトの生物学的な成功をもたらした要因について、みなさんは何だと思いますか?

(A)が(B)の大切さを獲得したから・・・。この(A)と(B)にそれぞれ言葉を入れてください。

●著者の長谷川さんは、人類学だけでなく、進化生物学、進化心理学、生物地理学、言語学、脳科学など個別の学問の成果を引用しながら、一つの結論を出しています。彼女は、次のように説明しています。

・ヒトの脳は、体重のおよそ2%の重さをしめているが、これほど大きな割合の脳をもつ動物は他にいない。体重の2%の重さに対して、全エネルギーの20%が脳のために使われている。

・脳は大量のエネルギーを必要とする臓器である。高栄養、高エネルギーの食糧源がなければ維持できない。

・そのような獲得困難な食糧を得るには、高度な技術が必要であるが、そのような技術の発明を皆で共有したり、共に目的を共有して共同作業したりすることができれば格段に有利だろう。それが可能になるように脳が発達した。

●つまり、いつかは分からないが、進化のどこかの時点で、自分さえ生き残れればよいという「競争的知能」から、皆で工夫して協力するという「協力的知能」へと変わったことが、ヒトの生物学的な成功の鍵ではないか、としています。

●「脳(A)が利他のためにする行動(B)の大切さを獲得したから」ということです。このように考えてみると、大きな脳を発達させるには時間がかかります。ヒトの成熟までの期間が非常に長く、ヒトの親が子供を育てるのに手間がかかるのも納得できるわけです。

●今日から始まる2学期は、このヒトが進化の過程で獲得した、「協力的知能」、利他行動に私は着目したいと思います。各クラスが立てた居心地の良いH R作りのための取組、SDGsの取組、体育祭・文化祭など、いずれも自分のためだけではない、クラスのため、皆のために行う利他行動です。

●「世界は美しくて不思議に満ちている」というこの本の題名は、魅力的だと思いませんか。利他行動を支えるのは、「共感」する能力です。ヒトが長い時間をかけて進化して獲得したこの能力の大切さ、偉大さを噛み締めれば、もっともっと世界は、学校は、そして皆さんの人生は、美しくできるのではないかと思います。この2学期、皆さんたちの利他行動に期待しています。

(学校長)