こんな時期だからこそ・・「歴史」で 考えてみる

●「こんな時期だからこそ・・?」あなたはこの後に、どんな言葉を続けますか?

「新型コロナウイルス感染症」が鎮静ではなく拡散の方向に向かっており、「国家的危機」をもたらすという事態のもとで、閉鎖的で、内向き志向の自国のみがよければ良いという考え方が加速化するという言論から、人々の日常の暮らし・行動の在り方にいたるまで、様々な側面から議論が展開されている。

●そんな中で、あらためて問うてみる。「こんな時期だからこそ・・?」

その問いの答えは、国民として、市民として、職業人として、家庭人として、個人として、それぞれが照らすサーチライトの射程ごとに考えてみると、どうやら整理がつきそうだ。いつの時代にも最大の恐怖は、「得体の知れない不安そのもの」(ウイルスが怖いのか、ウイルスに怯(おび)える人間が怖いのか・・。)にあるからだ。

●かつて人類が経験したパンデミックと呼ばれる最大のものは、「スペイン風邪」(インフルエンザの一種)であっただろう。第二次世界大戦末期から戦後(1918年から1920年)にかけて、5億人が感染したと推計されており、人類史上最悪の感染症のひとつと指摘されている。*感染者数については様々な推計がある。

●農業史を専門とする京都大学人文科学研究所准教授藤原辰史氏は、岩波新書の紹介HPの中で次のように述べている。(以下引用)

「どちらもウイルスが原因であり、どちらも国を選ばず、どちらも 地球規模で、どちらも巨大な船で人が集団感染して亡くなり、どちらも初動に失敗し、どちらもデマが飛び、どちらも著名人が多数死に、どちらも発生当時の状況が似ている。 ただ、当時は、インフルエンザのウイルスを分離する技術が十分に確立されておらず、医療技術的には現在の方 が有利、地球人口が17 億程度だった当時と、75 億人まで増えた現在とでは過去の方が有利だ。新聞以外にSNS も含め多くのメディアが必要・不必要にかかわらず情報を大量に発信しているのも現在の特徴であり、正直、どちらに転ぶかわからない。百年前はWHOも存在しなかったので、本来であれば現在の方が有利だと思いたいけ れど、なかなかそう思いづらいのは報道の通りである。」

●国民として、市民として、職業人として、家庭人として、個人として、それぞれが照らすサーチライトが共通して求めるものは、恐らく「歴史」であろう。「この時、過去はいかにしてあったか?」令和2年4月4日付朝日新聞にこんな書評があった。(以下概略)

「いがみ合うか 励まし合うか  新型コロナウイルス感染拡大の影響でカミュの『ペスト』が売れていると聞き、福島第一原発事故のことを思い出した。<・・略・・>放射能汚染という目に見えない不条理に直面し、生活の基盤を破壊された地域の方々の心情には、この本で描かれているところと共通するものがある<・・略・・>。」

「ペストも放射線も、そこで暮らす人たちの生活に割り込んできて、日常を引き裂く暴力的な存在だ。自分たちの力ではどうにもならない閉塞的な状況におかれたとき、人々は絶望に囚われたり、教条主義的な発言を繰り返したりする。一方で、力を合わせて困難と対峙する人もいる。カミュは、それぞれの人間の根っこにある何ものかが漏れ出す風景を、引き締まった文体で彫刻し続けた。」

「新型コロナウイルスもいつかは下火になるだろうが、<・・略・・>いつの時代でも、疫病という目に見えない脅威を前にすると人々の心は荒み、いがみ合い、差別と迫害を暴走させる。<・・略・・>」

「だが一方で、『ペスト』の主人公と友人らのように、真摯で高潔な振る舞いを見せる一群の人々も、感染症大流行のたびに必ず繰り返し現れている。お互いに助け合い、励まし合う、それもまた人のさがなのだと思う。未来は暗いばかりではない。」(科学史等が専門の東京大学情報学環教授 佐倉統)

*ペストとは、これまで複数回の世界的大流行が記録された感染症である。アメリカ国勢調査局の推計によれば、14世紀には、当時の世界人口の22%にあたる1億人が死亡したとされている。

●「NHK おうちで遊ぼう! for School」で、今日(4月11日)、「こんな時期だからこそ」再放送された番組がある。「名著 de 100分 カミュ<ペスト>」である。この放送をきっかけにかつて購入したカミュの『ペスト』を本棚から取り出し、録画しておいたこの番組をもう一度夜みようと思う。

●「こんな時期だからこそ・・できること」が見つかりそうである。

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「私も」インドで考えたい!

(村瀬)