画家が長寿であるわけ

●12月16日(日)午後、碧南市藤井達吉現代美術館に行ってきた。

●碧南市政70周年記念事業・開館10周年記念「愉しきかな!人生ー老当益壮(=老いてますます盛ん)の画人たち」を観るためだ。最終日とあって、たくさんの人が訪れていた。

 

●そこに紹介されていた画家の言葉に目が留まった。

*奥村土牛 「私はこれから死ぬまで、初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい。(中略)余命も少ないが、一日を大切に精進していきたい。」(84歳)

*杉本健吉 「長生きすることが目的じゃないんだな。絵を描くのが目的で、そのために長生きしているの。」(2001年)

*片岡球子 「自分から年をとるようなことだけはやめようと思っている。いつまでも若く、勉強を続けたいからだ。」(1992年)

*郷倉和子 「出来なくなることを嘆くのではなく、異なる角度から自分を眺めることで、今まで見えなかったものが見えてくることもあります。」(94歳)

●人間は目的をもって生まれてくるわけではない。目的は自ら見い出していくものである。画家(人間)としての本質は最初からあるわけではない。その時々の衝動、見方・考え方、それらの総体としての生き方在り方(実存)が画家(人間)の本質を作り上げていくのだろう。本質は、後からついてくるのだ。

●高校時代に習った、「実存は本質に先立つ」(サルトル)、という言葉をまた思い出した。

(村瀬)