「パンセ」ということ

●半世紀以上生きてきて、いまだに、「高校時代は…?」と自分に問いかけてしまうのは、高校教師としての宿命なのだろうか。それとも、何か特別の思いがあったからなのだろうか。現実と理想のはざまで、満たされない何かを感じつつ過ごしていたその時の記憶は、40年たった今でも鮮明である。それは、現実の生活に満足できず、かといってなすべきことの解を見出すこともできなかったその時代特有のものだからであろう。

●そんな高校時代に憧れたのが山であったことは、すでに述べた(ここをクリック!)。大学卒業後、教師としての初任校は東三河の高校だった。そこでは、高校山岳部顧問としての豊富な経験がある先輩の英語教師とともに山岳部を創設した。その後も毎年、繁忙期の春以外は、日本(2回ほどヨーロッパアルプス)の山に登り続けていた。

●そんなおり、1冊の本が私の山の見方を変えてくれた。フランス哲学の研究者である串田孫一の著書『山のパンセ』である。「山では自分の行為の質が変わるように、思考の質も変わる」ことを私に気付かせてくれた本である。

●串田は、東京外国語大学で哲学を教える傍ら、同大学山岳部長を務めた「行動する哲学者」である。登山家としては、戦前の谷川岳・堅炭岩で冬期登攀の記録を持っている。その串田が2005年(90歳)に亡くなってから、今年(2020年)で15年が経った。

●この書をはじめて手にした時、「パンセ」(フランス語で「思考、思索」、17世紀のフランスの哲学者パスカルが書き留めた同名の著書がある)とは、随分と大袈裟な本の名前だと正直思った。そもそも私にとって山に登る行為は、「景観を楽しみながらも、ひたすら歩き、予定時刻までテント場に到着し、食事を作り、次の日のことを考えて早く寝ること」だったのであり、そのことと思考とは無関係に思えた。今でも、時あるごとに読み返し、たまの山行に持参するのだから、串田文学の代表作とされるこの作品は、私にとって特別の意味をもつということだろう。

●串田は、『山のパンセ』の中で、次のように述べる。

山へ来て、普段のからみついて雑多なものをあっさりと忘れ去ることの出来る時が、かつての私にはあったような気もする。尾根の急な草原に身をうめて、そこで考えることは、人々の言う雑念とは遠く、地上よりもむしろ天上に近い不思議な歌のリズムだった。そのリズムを追い、またそれをなかば自分で創造しながら、草にうめていた身をもう一度起こす時、私は山々の間に流れる大気が、自分の想念を帯び、また自分の想念は大気の一部分のような気さえするのだ。」「山を下り、谷川の流れが夜のふけるにつれていよいよ強く頭を麻痺させていくような、そんな小屋に最後の夜をすごしながら、帰って行く心と、新しい出発とを夢み、疲れた私を眠らせない。帰って行く心とは、もちろん山を離れて行く淋しい狭い心だが、新しい出発を夢みる心とは、それを打ち消しながら、日ごとの生活に宇宙を感じながら、深い息を明るく吸い込む気持ちである。」(2013年.ヤマケイ文庫(底本は実業之日本社1972年刊行)

●山の中では、自然の中に身を置き、五感を働かせて状況を見極め、行為の決断を強いられることが少なくない。その責任は全て自分で負うことになる。それに伴い思考の質も変化する。結果として、今置かれた状況に感性を研ぎ澄まして、全知全能で臨むという思考回路がうまれる。やがてそれは、登山という領域固有の非日常的なステージを乗り越えて、日常生活を規定する思考様式へとつながっていく。串田が、非日常的な行為としての登山を「非宗教的な洗礼」として意味付けるのは、このことと深く関わっているのだろう。「行為と思考」、この2つが一体となって繰り広げられる串田の「パンセ」の世界は深い。

●「パンジー」という花がある。名の由来は「パンセ」である。19世紀、アメリカのある団体が自由思想のシンボルとして使いはじめたらしい。自由思想とは、「信条が科学、論理、理性に基づいて形成されなければならず、権威、伝統や様々なドグマによってはならないと考える思想的な立場」である。この花の形が、「人の顔に似ていて、深い思考で頭を垂れるかのように傾く」ことから、「パンセ」にヒントを得て命名したそうだ。その後「パンジー」は、自由思想家たちのシンボルとなり、特別の意味が与えられた。そう思って庭の「パンジー」を見てみると、確かに人(猿?)の顔に見えるから不思議なものだ。

●先人たちの事物を見る目の深さ、想像力の豊さを感じる。そういえば、大学時代に教養書として推薦された、レヴィー=ストロースの『野生の思考』(西洋文化の偏見を説いた書)の表紙は、この「パンジー」だった。この本は、「フランスにおける戦後思想史最大の転換を引き起こした著作」と評され、それゆえに(ただそれだけかもしれない)今も書斎に大切に保管してある。しかしながら、読みはじめた3行で理解不能に陥り、いつも読了できないでいる。理解できればさぞ嬉しいのだが、理解できないこともまた喜ばしいものであると最近思うようになった。分からないこと・難しいことが嬉しいとはどういうことなのだろうかと、また考えるのである。

(もしもう一度、大学で学ぶことが許されれば、日本では一部の大学でしか学べないのだが、歴史哲学か人類学を専攻するだろう。そう思えるのは、増え続ける過去・減り続ける未来を感じる年齢になったからなのだろうか。)

●様々な事物に対して、本質、意味、意義を求めて思索し、行動できる人に少しでも近づけたら思う毎日である。

(村瀬)