かぼちゃの国より

●ハロウィンが、やって来ます。ハロウィンと言えばパンプキン。カボチャです。そのカボチャですが、原産国はどこの国か知っていますか。「カボチャ、カボチャ、カボチャ・・・。」と10回続けて声に出してみて下さい。口から答えが自然に出てきます。「カボチャ、カボチャ、カボチャ・・・。」そうです。その答えは、カンボジアです。

●私は、この季節、カボチャを目にすると人が働くという根源的な意味を考えさせられたカンボジアでのある小さな出来事が、時々ふと頭に浮かぶことがあります。

●左足の甲のサンダルによる軽いすり傷が、大河メコンの洗礼を受け、私の片足は象のよう腫れ上がり、現地の医者には、破傷風かもしれないと言われ、人生初の松葉杖生活をカンボジアの首都プノンペンで送ることになりました。そんな足のトラブルをかかえながら街のレストランで1人憂鬱(ゆううつ)に昼食をとっている私のテーブル下に小さな男の子が近づいて来ます。何だ、この子は?よく見ると地雷でやられたのか、両脚のひざ下がほとんどありません。乾いたコンクリートの床を這うようにして、「Money please !」「Money please !」と声を掛けてきます。周りの外国人旅行者は、この少年を全く相手にしません。よく見かける路上の物乞い扱いです。一方、私は、自分自身が今、足の痛みに耐えかねていることもあり、他人事とは思えず、何気なく1ドル札を彼に渡してやりました。するとその少年は、ほほ笑んで「Thank you !」と答え、その細く小さな胴体をたたむようにしてかがみ、テーブルの下で乱れている私の汚れたサンダルを白く包帯で巻かれた私の不自由な足でも履きやすいようにとその2つを並びそろえると上半身を両腕で支えながらオールを漕ぐようにしてその場から去って行きます。

●しばらくすると私は、自分の目頭がだんだんと熱くなってくる事に気づきました。まさしく、この子は働いている。今夜のご飯を食べるために。飢えないために。生きて行くために。自分の可能な限りの能力を使ってこの今を生きている。人から馬鹿にされようが、邪険に扱われようが、今日、この1日を生き抜くため迷いなく懸命に働いている。この子は知っている。腹を満たし、生きて行くために人は、まず何をしなければならないのかということを。歳でいえば、まだ小学校の低学年である。

●私の心は乱れます。私の思考も乱れます。「私の夢は・・・」「私に合った仕事は・・・」「私が働く条件は・・・」そんな彼を目の前にすると職業選択においてキーワードとなるはずのこれら全てが、突如として色あせ始め、むしろ覚悟を決められない弱い自分が現実直視を避けるための都合の良い言い訳にすら聞こえてきます。私は、乱れます。そして、ついに「食べるために人は、働かなければならない。決めよ。覚悟を!」と、少年の残像に厳しく一喝されたその時、私は、私のキーワードが夢から覚悟へとまさに代わる瞬間を感じたのです。

●あれから20年。あの時、あの少年の覚悟に触れ涙した私は、不思議な縁で現在、英語教師そして就職担当として本校の教壇に立っています。今、人手不足による空前の売り手市場と言われる就職状況の中、ハロウィンの秋風にのってこんなつぶやきが、私の脳裏をかすめて行きます。「ここは、豊かな国の日本。そんな覚悟を決めなくても幸せに暮らしていけるから心配しなくてもいいよ。」果たして、これは優しい天使のささやきでしょうか。それとも、悪魔の甘いささやきなのでしょうか。 Happy   Hallowe’en  !

(片山)