ユーミンの詩

●最近、Apple Music  や Amazon Music を利用して、昔のアルバムを探し出し、繰り返し聴いている。中学生・高校生の頃は、朝学校に行く前に、必ず音楽を聴いていた。中学生の頃、レコードプレーヤーとカセットデッキ、そしてラジオが一体化したオーディオを親に買ってもらったことを思い出す。

●’70年代・’80年代・’90年代など、各年代ごとのヒット集を聴いていると、今では無意識の領域に追いやられていたその時代の私の光景が浮かんでくる。「心の奥にしまい忘れた大切な箱」(荒井由実作詞作曲「やさしさに包まれたなら」)に気付かされるのだ。

●先月、脳科学者の茂木健一郎氏の講演を聴く機会があり、そこで彼のお友達のユーミン(荒井由実、今の松任谷由実)のことが取り上げられた。「あのユーミンの感性豊かな詩は、私的な経験から生まれたわけではない(虚構ということをユーミンから教えてもらった)。」というのだ。

●みなさんは、この茂木氏の言葉を聞いてどう反応するのでしょうか?「そりゃーそうだと!」と納得するか、「本当に?」とびっくりするか。この時の茂木氏の反応は、後者だった。

●果たして、どこまでが事実(経験)で、どこからが小説(虚構)なのか?

●荒井由実作詞作曲「海を見ていた午後」(セカンドアルバム「MISSLIM」1974)の中に出てくる、レストラン「(山手の)ドルフィン」(神奈川県横浜市磯子区)では、この歌の中の有名なフレーズ「ソーダ水の中を貨物船がとおる」ことは本当にあるのかと、多くの人が訪れてこの店のメニュー「ドルフィンソーダ」を注文するらしい。

「海を見ていた午後」

あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上(のぼ)ってきょうも ひとり来てしまった
山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬もみえる
ソーダ水の中を 貨物船がとおる
小さなアワも 恋のように消えていった

あのとき目の前で 思い切り泣けたら
今頃二人ここで うみを見ていたはず
窓にほほをよせて カモメを追いかける
そんなあなたが 今も見える テーブルごしに
紙ナプキンには インクがにじむから
忘れないでって やっと書いた 遠いあの日

●「事実は小説よりも奇なり」(英詩人バイロン)という言葉がある。事実(実際に起きた現実)は小説(虚構)よりもインパクトはあるし、予想できないことが多く起こるのが現実だから、確かに事実は不思議(奇なり)なのだが、

●ユーミンの詩に描かれる光景は、たとえ虚構だとしても、必ずしも完全なヴァーチャルな世界でもなさそうである。私たちは、自分は経験していないけれども、あるかもしれない、あって欲しい、あったらいいのになどと、日々思い巡らし暮らしている。それが、私たちの現実なのである。そう考えてみると、このユーミンの詩に多くの人が共感する理由が分かるような気がした。

(今日の夜は、こんなことを考え書きながら、この歌を10回以上聴いてしまった。)

(村瀬)